革新的な美粒の高圧乳化分散、グラフェン、カーボンナノチューブ、セルロースナノファイバー、挙動は同じです。

なぜ、ナノカーボン・スメクタイト乳化ができたのか。

なぜ、ナノカーボン・スメクタイト乳化ができたのか。

人生の難しさ。視点を変えて物事をみる。なぜ、ナノカーボン・スメクタイト乳化ができたのか。

世の中の難しさは、ひとつも定型式がないことである。人生の解というものがない所を歩いていくのだから、難しいのは当然である。確かに、人生は不可解で難解でもあるが、そういう風に人間が考えるからそうなっているのかもしれない。また、その見方も人によって変わる。だから、Aさんに有効だったプロセスがBさんに有効だとは限らない、100人いれば、厳密的には100通りのプロセスがある。そうはいっても、類別化は可能である。どの視点でどういう風に選別するか、それによっても、パターン化は、変化する。つまり、見方をかえれば、どのような模様もかけるということである。どのような屁理屈も自分の都合によって成り立つということになる。何が正解、何が不正解か、あいまいになる。人生の難しさはそこにある。

この世は、確かにばらばらな方向へと進んでいる。物を放置すれば腐る。生活していれば、ごみやほこりがたまる。最終的には、人は死ぬ。気の遠くなるほど時間が経過すれば、人類はいなくなり、地球もなくなり、宇宙も、ばらばらになっていく。世の中に秩序はなくなり、濃淡もなくなり、無限の空間に、ビックバーンで発生したもの(エネルギー)が、最低の動きをもって揺らぎ振動している状態になっていく。もちろん、その後、この宇宙がどうなるかわからない。しかし、理屈を考えれば、再び、ちょっとしたことで、凝集がはじまり、無限に膨らんだ空間は収縮の方向へと向かうことになる。そうして、一点に集約されたこの世の森羅万象は、再び、巨大な力をもって、別な時空間へと新たなビックバーンを起こしていくだろう。たぶん、この宇宙は、その中の一つの過程でできた物。無限に近いサイクルがあったなら、昔々、同じようなことが起きていた可能性もある。地球に似たような惑星ができて、その中で人類に似たようなものが生まれ、この歴史に類似したできごとがあり、自分に似た人生を歩んだ人がいたとしても、もし、この宇宙が無限に近い回数で生じたのなら、そういうことが起きてもおかしくはない。なぜなら、我々は宇宙のはても、この時間のはじまりも終わりも分からないからである。宇宙も無限、時間も無限なら、この一瞬の類似した有限の時が無限回あってもおかしくはない。視点を変えて物事をみれば、そんな事が思いつく。

私は、昔、事業化の中で、ひどい目にあわされた。企業の中の生息する人間の欲望の犠牲になった。何時の世でも、個々は、組織の中での免罪符をもっている。連帯責任は無責任というパターンである。何時の世でも、組織の名目で、個々の欲望を押し通す。何か失敗しても、それは組織の所為にできるからである。しかし、やられた方はたまったものではない。しかし、理不尽に背負わされた借財でも、返済しなければならない。法的に清算する道はあるが、それをしたら、この不条理に負けたことになる。ふざけた人達や企業に対する抗弁がなくなる。組織とは残酷なものである。担当者の人は、最後まで頑張ってくれた。しかし、個々の力は乏しい。長い物には巻かれなければならない。その企業の中で、途中で、バカだチョンだといわれて左遷された人以外、だれもいなくなった。世の中は作用反作用、だからしょうがない。

そんなわけで、私は立ち止まることができない。次から次へと、事業化を考えなければならない。なぜ、やるのか、借財を返済するためである。ただ、それだけである。いま、特許や特許申請中や自分の中にある経験と感性をもふくめた知的財産は、借財の額よりも上だろうと思っているが、それでも、どうなるかわからない。この国は、技術を正当に評価できる金貸し業の人はいない。ヨーロッパ、アメリカなら、とんでもない額を、私が所有している知的財産に価値をつけるかもしれない。もし、日本で私が所有している技術でなにかしら動いた実績がでたら、中国は、10倍―100倍の金を用意して、私の前に現れるかもしれない。人生など、どう転ぶかわからない。

この原動力はどこからくるのか、それは借財をかえさなければならないという思いからである。そして、なぜ、色々なことができるのかといえば、それは、すべてを失ったからである。他力本願の甘えを言っていられなかったからである。なにもかも自分でやらなければいけなくなったからである。組織であれば、分業である。それぞれは木をみる事はできても、森は見られない。何時も決められた視点でしか、物事はみれない。できるのは、従来あるものを、どのように加工し変更するかしかない。総合力がないのである。借財をかえすため、生きるために、会社にのこったものをすべて利用した。それなりのCAD図面があったから、それも利用し、新たなものをつくった。在庫としてあったもの、用途を変えたら、とんでもないものができた。それが美粒システムという装置である。

日本がなぜ、衰退したのか、贅沢になったからである。組織という居心地の良さにあぐらをかいたからである。そして、今、リストラの危機にあう。一つの視点でしかものごとをみることができない。総合力のない創造性のない他力本願型の人間では、今の中小零細企業では生きていけないし、また、ベンチャー企業を立ち上げても、資産を食いつぶすだけである。これは定年を迎えた人にも言える話である。高学歴の頭のいい人は、ある意味、頭が良すぎるから、見栄をはる。華麗なる学歴、職歴が視点を固定化させてしまい、生きる勇気を奪うのである。そして、ものごとを自分の都合に合わせようとする。うまくいかなければ、自分の悲運を嘆くことになるのである。そして何事も隠す。隠すのは、それ以外に何物ももっていないからである。ある意味、なぜ、中国のベンチャーが伸びたのか、それは貧しかったからである。中古のものを利用して、出来合いのものを作り替えたからである。日本が高度成長で世界のトップになったのは、戦後の焼け野原での貧しさを体験したからである。

ナノカーボン・スメクタイトエマルジョン(乳化)がなぜできたのか、こんなものは、普通はできない。こんな発想もでてこない。これは偶然の要素の重なりである。しかし、人生は一回、この宇宙の流れも一期一会で今の時空間を動いている。私の人生も、私がつくりあげたものも、ひとつのコスモス、一つの花と同じである。この宇宙もどこかのエンドまでたどり着き、そこで、ビッククランチがおき、収縮して、虚(マイナス)時間を経過して、また別なビックバンを起こす。その因果の中で、うまれたのが、ナノカーボン・スメクタイト乳化なのである。その因果をひいたのが、とある企業である。私をどん底まで追いやった事象である。もちろん、それ以前の事柄がなければ、これは生まれない。美粒システムがうまれなければ、できないものだからである。

高圧乳化装置、化粧品事業があったから、その経験と技術がベースにあったらから、今の美粒システムができたのである。どん底だから、自分でデザインを考え、自分で理論化し、自分でプロトタイプをつくり、それぞれの係数をはかり、数値化した。なぜなら、金がなかったからである。そして、使える資金のなかで、部品を購入して、自分で加工して、自分で組み立て、自分で運転した。生きるために、それを販売した。テストも分解洗浄もメンテも、すべて自分一人でやった。もちろん、事象を知っている人は、助けてくれた。だから、いろんなものとの相互作用の事象、ハードとの問題、チューニングとの問題、ほとんど頭の中に入った。だから、カーボンナノチューブの解繊ができたのである。黒鉛の剥離からグラフェンができたのである。スメクタイトを利用した活性剤フリーのピッカリング乳化もできたのである。それをすべて総合したのが、ナノカーボン・スメクタイト乳化なのである。これは昔の技術ではできない、CNTと黒鉛のナノカーボンの解繊・剥離分散の経験がなければできない。そして、ピッカリング乳化の技術がなければ、これもできない。ある意味、偶然の産物なのである。それは、別な言葉でいえば、神様からの贈り物なのである。私はたまたま、この時空間にこの因果をうけて生きただけのものでしかない。私は、借財を返済するために、頑張ったに過ぎない。今はすこし余裕ができたから、今までわきに置いていた、粉砕、解繊領域まで、進めようとしている。MLCC分散、カラーレジスト分散である。

とある社長から、塗膜剥離で相談を受けた。はしごを外されて金がなかった時に、装置をかってくれた人からの依頼だから、人としてNOといえるわけがない。詳細は、その会社の知的財産にかかわることだから、いえないが、最初見て、これはできないとわかった。私がやっている分散とは真逆な、ジェットカッターや洗浄機の部類だった。状態をみて、何が問題なのか、一発でわかった。わかったというよりも、感受した。それを証明するために、会社にあった部品をごそごそやっていたら、それに必要な部位が全部そろった。昔使っていた部品等を利用すれば、できるとわかったからである。つけてやったら、前回まで、びくともしなかったボンネットの焼き付け塗装がみるみるはがれていった。塗膜剥離である。薬品もつかっていない。媒体は水だけである。システムとしては、その会社が保有している特許に包含されるから、私がぐちぐち言う必要もない。その部位に、私が保有している特許をつかったから、他から、まねされる心配はないと踏んだ。あまりやりたくはなかったが、これはしょうがないなと観念した。受け手の対象物や条件が変われば、制御の方法を変えなければいけないと思ったからである。図面をひいて、最適化したものをつくり、それから検証していくことになる。そのプロセスは、分散でおこなったものと同じやり方である。仮説が実証された以上、何がキーポイントかは、頭に焼き付いた。この分野で、私がしゃしゃり出るつもりはない。黒子でいい。どのみち、ある程度体系化できるまでは、逃げられない。いずれ、ロボット化され、無人で、道路、橋、鉄橋、高架等の塗膜剥離に利用されるからである。インフラの補修である。たぶん、まったなしで、推移するはずである。これも利他かなと観念した。インフラ事業にかかわることだから、国がどこかでかかわってくるだろう。

その後、どうなるか、ナノカーボン・スメクタイト乳化が役に立つはずである。硬化樹脂(接着剤)と混ぜて、亀裂に埋め込むはずである。水が飛べば、スメクタイトやベントナイトがのこる。ガスバリア性があるから、防錆効果がでる。塩害につよくなる。そして、世界一強靭な材料が中にある。グラフェン、CNTのナノカーボンである。そして、ナノカーボン・スメクタイト乳化の最大の利点は、環境を破壊するものがない点である。すべてが土に戻るものだからである。そこに、界面活性剤が使われていないからである。

私が扱っている事象に関して、学問などない。ナノ分散に関して、だれも、まともな解をだしていない。グラフェンがいいとわかっても、どこも生産技術にのらない絵に描いたもちばかりである。CNTも、中国では、ばらばらにして、つかっているが、本来の機能ではない。解繊する技術がないからである。ナノカーボン・スメクタイト乳化で使っている黒鉛は、一般の市販されている黒鉛である。CNTも汎用化され、廉価なものである。製造は、生産技術にものり、スケールアップ理論も確立されている。そして、使用する圧力も100Mpaぐらいである。ファインのセラミックコンデンサー(MLCC)で使う圧力は180Mpa-200Mpa、しかも、30-40パスである。ナノカーボン・スメクタイト乳化は、3-4パス、圧力も半分、パス回数も一桁ちがう。そして、溶媒は水で、環境にやさしいものである。

世の中には頭のいい人がたくさんいる。高度なものを作る技術も多々ある。核弾頭を搭載して、正確なところまで飛ばせる技術もある、そんな頭のいい人が世の中には、うじゃうじゃいるにも関わらず、一般黒鉛を剥離させグラフェンを精製するシステムを作った人はいない、CNTの解繊をきれいにするシステムを作った人はいない。活性剤フリーのスクワラン1%の乳化物をつくるシステムを構築した人はいない。なぜなら、学問がないからである。ある意味、経験と感性が最優先される職人の世界だからである。親方を超えるには、親方以上の努力と苦難を経なければ到着できない世界だからである。日本が斜陽していくのは、この世から後をあるく職人がいなくなったからである。職人が消えれば、ものづくりは日本から確実に消えることになる。

私も後20年、生きられるかどうかである。できるだけ、芸術作品を残してあげたいとおもう。それをみれば、私が何をしたかがわかるだろう。そうすれば、どのような視点で、ものごとをみてきたかわかるはずである。最近は、いろいろと分散に関する講演依頼や執筆依頼もくる。なによりも大切なのは、考えて、手を汚して、実践することである。ものごとを組み立てることである。同期の人は役職定年、数年したら本当の定年、ご隠居である。たぶん、ご隠居になれば、やることがないはずである。やることがないのは、別な意味で苦痛のはずである。私とは全く無縁な世界である。私には理不尽に背負わされた借財がある。そのために、頭をつかって、新しいものを作り出さなければならない。なにが幸せなのかわからない。人生は難しい、しかし、そういって、人生を放棄するわけにはいかない。

(2019年1月6日 秋山なおの美粒ブログUP)

雑誌ニューリーダー 2019年1月に、ジャーナリスト 乗松幸男氏、執筆の、連載ナノテクの旗手たち⑱、ナノ素材を活かすのは職人技、分散技術で現場をアシストする。-美粒ー、その記事をPDFでダウンロードできるようにしています。

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