革新的な美粒の高圧乳化分散、グラフェン、カーボンナノチューブ、セルロースナノファイバー、挙動は同じです。

ナノカーボン乳化・日本の文化

ナノカーボン乳化・日本の文化

ナノカーボン(乳化)エマルジョン、日本の文化、日本の技術、日本が勝てる要素。

乳化とは、混ざらない液体、例えばAを水、Bを油とすると、Aの水(溶媒、連続相)の中にBの油(溶質、分散相)を微細の球体の粒子として分散させることである。それを乳化分散という。通常は張力の差により、界面活性剤がなければ、油の分散相が凝集して、水と油の2層に分離する。したがって、乳化は、界面活性剤が主体となる分散技術である。界面活性剤が強ければ、手撹拌でも乳化する。油が残った食器に強力な洗剤を一滴垂らせば、水の張力が落ち、油を包み込む。水を流せば、油も食器から落ちる。

混ざらない二つの不安定な液体(油と水)を界面活性剤を使って、一つの世界に収縮させる。粉砕とは、まるっきり、性質の違う概念である。粉砕は、破壊の哲学である。ものをトンカチでぶち壊すのと同じである。対立するものを破壊し、壊滅する。それはヨーロッパの概念でもある。ある意味、中国も同じである。三国志の世界観のように、力のあるものが、弱いものを征服する文化でもある。その点、アメリカと中国はおなじ気質の民族である。だから、覇権で衝突する。中華思想とアングロサクソン(キリスト教)思想は、破壊の哲学では共有するが、利害では衝突する。中国が伸びてくれば、アメリカと衝突するのは必然である。今のITやIoTを支える分散技法も、粉砕という点では同じである。

日本は、いまでも、官僚律令国家である。白と黒を明確化しない。対立をしているようにみせても、どこかで、調和を求める。まさしく、忖度文化である。日本語も同じである。英語や中国語のように、主語と述語を明確化しない、主語も述語も省くことがある。同じ言葉でも状況によっては、真逆なことを意味する。それを状況によって白か黒を判断しろという、まさしく、忖度、そのものである。それが日本の文化である。それが日本語である。だから、同じ漢字を使っても、中国人は日本人を理解できないし、日本人もまた本質的には中国人を理解できない。アメリカ人も同じである。よほど、親密にならないと、親和しない。結構ですという言葉は、場合によっては、不要です、場合によって必要ですとなる。日本語が母国語でない人は、いったいどっちなのかと悩む。会議で本音を言わずニコニコする。白を白と言わない。白なら、黒ではないという。すべてあいまいで、すべて確率の世界の中にゆだねる。場合によったら、90%のOK、場合によったら55%のOK、OKなら、100%OKとアメリカ人はそう考える。

それは、分散技術でも同じである。アメリカは、ものを破壊する。理解のできないものは化け物だから、破壊する。日本に原子爆弾を落とし、日本というわけのわからないものをせん滅しようとした。いくら、安倍首相がトランプ大統領に忖度しても、文化が違うのだから、意味がない。利害が一致すれば、OKだか、昔のように、はむかえば、再び、大陸弾道弾が日本へ飛んでくる。だから、同じ土壌で勝負しようとすれば、昔とおなじように、物量で勝てるわけがないのだから、やられてしまう。中国も基本的に覇権主義、中華思想にはむかう少数民族は征服される。三国志の世界、勝てば、一大帝国である。だから、もはや、従来のもの、電池も含め、日本から技術移転したものは、中国に勝てない。粉砕技術は、もともとアメリカからきたもの、それを日本流に改良したもの。装置、もの、システム、物量があるし、市場があるのだから、中国にコストで勝てるわけがない。中国では、内陸の人を雇用すれば、いまでも、安い賃金で生産ができる。もちろん、中国人もアメリカ人も非常に頭のいい人がいる。しかし、すべては、ロジックの中での世界である。経験が主体となる職人芸をいくらロジックで分析しても、答えがでない。乳化は、粉砕と違って、結果が導けない。粉砕は、割れたか割れないかである。乳化には、無限の解がある。化粧品の乳化も塗料も、感性で導かれる。いいものは、結果的にいいものとなる。なぜそれがわかるのか、経験と感性でわかるのである。職人の親方の感性の方が、大学の教授や研究所の上席研究員の知性よりも、勝るからである。

ナノカーボンエマルジョン、油をナノカーボン(黒鉛から剥離したグラフェンと解繊されたカーボンナノチューブ)で油を水の中に乳化させたものである。界面活性剤はつかわない、ナノカーボンが界面活性剤になるのである。だれも、やったことのないものである。そうなると、ナノカーボンの比表面積が膨大になる。そして、エマルジョン粒子だから、水性のものに綺麗に混じる。牛乳を水にいれても希釈されるが、分離することはない。外層が水だから、水溶性の塗料、樹脂には、均一に混じる。再凝集など起きないし、界面活性剤がないから、逆に塗料や樹脂に変化を起こさせない。油をモノマーにすれば、ナノカーボンモノマーエマルジョンになる。固めれば、球形の固体樹脂の周りをナノカーボンが包んでいることになる。固体電池の導電パスに使われるかもしれない。

ナノカーボンエマルジョンの用途は無限である。この乳化技術こそ、忖度文化、曖昧な日本人の気質を生かすものである。異質なものを壊すのでなく、異質なものをうまく、取り込んで、乳化であれば、うまく丸く取り込んで、新たなものに作り替える。日本人が昔から得意としてきた分野である。困っている人がいれば助け合う、アメリカや中国のように、巨大な大金持ちと巨大な貧乏人が対立するのでなく、そこそこ互助しあう文化である。気に入らなければ、破壊する文化でなく、気に入らなくても、包み込んで、洗脳させる文化である。まさしく、母の文化、聖観音菩薩や聖マリア像の文化である。壊すのでなく、包み込む、それが乳化である。ナノカーボンエマルジョンは、ナノカーボンで水と対立するものを包み込むものなのである。

ナノカーボンエマルジョンは、日本人が日本で作り上げたものである。日本人がこれから、新たな用途展開を進めていくはずである。欧米人や中国人には理解できない分野である。武力で世界に出て行っては、アメリカにやられ、経済で世界に出て行ってはアメリカにやられ、液晶、半導体、電池では中国にやられている。しかし、これからは、あらたな分散技術で、世界に出ていけばいい。乳化分散技術は、これからの新技術でもある。複雑系の解を解けるのは、経験と感性でしかない。あいまいな日本語で、世知辛い日本社会を忖度していきれる力があれば、乳化は日本人ならだれでも理解できるはずである。

残念ながら、日本の職人文化は、衰退の一途である。跡取りがいない、継承する若者がいない。だから、多くの職人的技術は崩壊の一途である。若者には、未来が見えない。手に職をつけるということがどれほど価値のあることか理解できない。3Kと言われる世界、どんなにITが優れていても、経験と感性が要求される世界では、PCはあくまでもおまけにすぎない。自分の手を汚して何かを作る。その感覚こそ、創造性の種になることを若者は知らない。汚れることを拒否したら、未来を否定することになる。私は、30年後はあの世にいっているが、若者は、30年後も、働かなければならないはずだ。最終的に自分を救うのはやはり、芸、である。芸は身を助ける。どんな芸でもいい、職人芸を身に着けることが重要になるはずである。30年後、このナノカーボン乳化が、日本を必ず救っているはずであるし、日本の未来を希望に満ちたものに変えているはずである。私はそう確信している。

2019年3月10日、秋山なおの美粒ブログにUP

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