革新的な美粒の高圧乳化分散、グラフェン、カーボンナノチューブ、セルロースナノファイバー、挙動は同じです。

ナノテクノロジーの盲点

ナノテクノロジーの盲点

ナノテクノロジーの盲点、完全に濡れなければ力は作用しない。

先週、ナノテク展(nano tech 2017)に、はじめて、出展した。そうそうたる大企業や日本を、世界を、代表する研究機関が出展していた。ナノテク技術の饗宴である。とくに、最先端となると、カーボン系でいえば、グラフェンとカーボンナノチューブである。そこから得られる機能面、それをどう製品に生かして、性能や特性を飛躍的に向上させていくか、それが、技術の本質、文明の進化の真髄とこれからなるはずである。

ナノテクノロジーが国家技術の中枢だと、叫ばれて幾久しい。しかし、現実的には、それほど、変わっていない。ただ、そう言わないと、金が回らないのも事実である。もし、今、研究されているグラフェンやカーボンナノチューブやセルロースナノファイバーが、本格的に製品のベースになれば、世の中は、対数的に、変化する。今は、あくまで、リニア的な変化にすぎない。10年前、20年前、30年前、その変化は、体感できる。倍、4倍、あくまで、直線的な変化だと、意識できる。その勾配は強いが、世界が激変ということはない。パソコンの機能面では、処理速度があがった。バッテリー保持時間もあがったが、しかし、その本質は、10年前も、20年前も、変わらない。それはパソコンという範疇からなんら逸脱していない。そう、人間のライフスタイルを劇的に変化させるほどのイノベーションは、まだ、起きていないのである。自動車は自動車、新幹線は新幹線、飛行機は飛行機、そこの進歩は、あくまで、想像できる範囲内なのである。化粧品などは、ほとんど、変わらない。医薬品、確かに、効能面は進歩したが、製剤面ではそれほど変わらない。相変わらず、飲み薬がベースである。劇的な抗がん剤や人工血液となるリポゾーム製剤、リポ化製剤など、ほとんど、進化がない。ナノテクノロジーと叫んでも、実際は、それほど、変わらないのである。

それは、何か、毎年、莫大な投資が行われ、いろんなものが、開発される。しかし、それが世の中に、反映されない。それはなぜか、端的にいえば、量産ができないからである。スケールアップが、ことごとく、うまくいかないからである。新聞や雑誌に、夢の○○ができた、市場規模として、数千億円、うんぬんと、頻繁に出ている。しかし、それが、現実の世界の中で反映されることは、すくない。ナノテク展をみても、素晴らしい素材がある。グラフェンも出展されていた。しかし、その価格は、グラム、何十万円というものだった。グラフェンはいい、しかし、グラム、何十万円で一体なにができるのだろうか。

それでも、物があればいい、多量に供給できればいい。しかし、粉だけあっても全く意味がなさない。グラフェンもカーボンナノチューブも、粉だけ、もらっても、何も意味がないのである。それをなめたら、がんが治る。それをなめたら、不老不死になるというのならいいが、そんなことはない。それを、何かに混ぜて、溶媒化、液中化しなければ使い物にならない。それが、今、分散という最大の問題に、人類はぶち当っているのである。

今はやりのカーボンナノチューブ、シングルでもマルチでも、その機能は人類がワクワクするテーマである。高機能なカーボンナノチューブが多量に安く供給できる、それだけで、株価は大きく跳ね上がるものである。そんなものだから、いろいろと、各社しのぎをけずっているはずである。しかし、現実的に、粉だけもらっても、それをどう分散したらいいかわからないのが現状である。なぜなら、そこには、多量の空気が内在しているからである。細かいナノ原料をいれる。からまったたわしのようなカーボンナノチューブを溶媒にいれる。ほとんどの人が気付かないが、細かければ細かいほど、絡まれば絡まるほど、そこに多量の空気が内在していることに、だれも意識を傾けない。そこに、多量の空気を入れていることに気づかない。分散の基本は、濡れである。溶媒(液)が溶質(粉体)に完全にぬれるから、力が掛るのである。微細になるのである。そこに、多量の空気があったら、どうして濡れるのだろうか。実験レベルでは、なんとかなっても、工業化など、夢のまた夢の世界なのである。実験でうまくいった、パイロットもそこそこできた、しかし量産で再現がとれない。すべては、濡れを制御できていないからなのである。別な言葉でいえば、乱れを制御できていないからなのである。

素晴らしい原料ができた、それを溶媒に濡らして綺麗に分散させる。だれもが、頭では理解できる。では、どうやって、・・・・その答えがでないのである。偉い先生も偉い研究者も、その答えを持ちえない。もし、それができるなら、世界は、劇的に変わっている。もっと、すごいものが出来上がっているはずである。

すべての基本は、濡れである。溶媒がカーボンナノチューブの中に浸透し、溶媒が粉体と完全密着がベストなのである。そこに空気があれば、どうなるか、ぬれないから、ぼそぼそになったり、ばりばりになるのである。粘度があがってどうにもならなくなるのである。

黒鉛を溶媒で完全にぬらし、そこにうまく力をかければ、黒鉛のそれぞれの面は、はがれていくのである。セロテープぐらいの力でグラフェンは黒鉛からとれるのである。それがうまくいかないのは、完全にぬらすことができないからである。連続的に、継続的に、力を掛けている時も、ぬらし続けることができないのである。ぬれなければ、力はかからない。セロテープと黒鉛の間が密着していなければ、そこに空気があれば、セロテープをはがしても、グラフェンはそこにくっつかない。小学生でもわかる論理をだれも理解しない。カーボンナノチューブの分散も同じである。連続的に、継続的に、力を掛けている時も、カーボンナノチューブをぬらし続けることができないのである。そこに、ぬれの密着性がなければ、絡まったチューブは、絡まったままでしかないのである。

ジェットミルで前分散をして、細かくして、そのあと、高圧処理をかける。チューブもこなごなになる。いまでも、そんな愚かなことを繰り返すしか能がないのである。それが分散技術の現状なのである。いまでも、ものを微細にするには、鉄球をぶんぶん振り回し、その力でものを破壊するか、または、粉体をまぜた流体に高圧をかけて、それをジェット流にして、何かにぶつけてこわすやり方が主流となっている。黒鉛を剥離してグラフェン化する。大事なのは、その薄い機能面なのである。チューブも、できるだけ、長いチューブがほしいのである。からまったものを、ぶち壊したら、チューブの意味がなくなるし、黒鉛をぶち壊したら、その面も破壊されてしまう。普通のカーボンブラックを分散した方がいいということになってしまう。

一体、世間は、何をしているのだろうか。連続的に、継続的に、力を掛けている時も、ぬらし続ける。ぬれなければ、力はかからない。高校生の物理の教科書にでもてくる事柄である。乳化も剥離も解砕も、基本は同じ、すべては、ぬれの問題、内部にある気泡をいかに外すか、外部の気泡をどのように内部に入れないか、そして、ぬれた状態で、どのように力をかけていくか。それを制御してやれば、簡単に黒鉛を剥離しグラフェンを採取できるし、シングル、マルチのカーボンナノチューブもきれいに解砕できるし、ぬれて、うまく力を作用させれば、シングルカーボンナノチューブも、金属型、半導体型として、うまく選別できるかもしれない。すべては、ぬれていなければ、力がかからない。力がかからなければ、なにも作用しないし何も生まれない。金属型、半導体型も、ぬれているなら、力が作用するだろう。その差によって、自然と別れるのもまた自然の道理であるはずである。

細かい粉体をいれたら、それだけ空気が入る。それをどれだけ、排除していくか、そして、力を加えた時、どれだけ、外部の空気を排除できるか、液中に、完全にものがぬれれば、力が加わる。その力の掛け方で、物の状態が変化する。再現がとれないのは、濡れ方が異なるからである。ナノテクノロジーの盲点とは、実は、道理を説明すれば中学生でも理解できる単純なものなのである。物事を複雑にしているのは、実は、理にたけた人間なのである。まず、重要なのは、研究者や開発者の心の整理だと、感じる。

(2017年2月21日 秋山なおの美粒ブログにUP)

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