革新的な美粒の高圧乳化分散、グラフェン、カーボンナノチューブ、セルロースナノファイバー、挙動は同じです。

分散の複雑性、スケールアップの複雑性、日本が技術立国として復活する日。

分散の複雑性、スケールアップの複雑性、日本が技術立国として復活する日。

分散の複雑性、スケールアップの複雑性、日本が技術立国として復活する日。

基本的に、粉砕、破壊分散の考え方と組織化分散、秩序分散の考え方は異なる。いくら、中国や韓国がそこをやったとしても、なかなかうまくいかない。それを行う発想がないからである。それは、能力というのではなく、そもそも、そういう風な考え方をしていない人たちだといったほうがいい。中国は、合理的な考えをもっているから、ひとつひとつ、わからないものを組み立てるよりも、できたものを奪って、それを利用した方が賢いという発想をもつ。それが、三国志的な考えである。日本の中小零細企業が生み出して、パッケージされたものを、だれよりも、高くその権利を買い取って、それを安く製品化してうって、もうけた方が賢いと考える。

原爆はアメリカで作られた。日本は戦艦大和、ゼロ戦を作った国、原爆は一発勝負の武器、戦艦や戦闘機は、量産の技術でもある。ものづくりに対しての考え方がちがう。アメリカは新規性をねらう。日本は、既存のものの応用をねらう。そして、どうしたら、安く、量産化ができるか、考える。ビジネスにおいても、アップル、マイクロソフト、グーグル、アマゾン、日本の官僚律令体制からみれば、到底、発想が浮かばないビジネスモデルである。それは、論理性があるからである。中国も論理性はある。しかし、そこに、現世利得的な合理性がなければ、実行に移さない。余談だが、中国をここまで大きくしたのは、鄧小平氏の力量である。彼が、ぶれなかったから、中国はアメリカと戦える国になった。ある意味、立派である。そして、アメリカの根底にあるものは、論理性とキリスト教的な倫理性である。それがなければ、動かない。実際に、アメリカは怖い国である。キリスト教的な寛容、慈愛の中において、救済はするが、それを逸脱すれば、敵とみて、ロックオンする。広島、長崎に原子爆弾を落とした国なのである。

SWCNT(シングルカーボンナノチューブ)を利用した新しい半導体やエネルギー変換に関する情報がアメリカからでてくる。しかし、あくまでも、試験管やビーカーワークでの話である。現状、SWCNTはkg、50-100万はする。実用化がすすめば、kg、10万ぐらい、またはそれ以下までは下がることだろう。しかし、凝集力がつよく、なかなか、解繊分散がうまくいかない。うまくいったとしても、スケールアップや、用途展開がいかない。ステルス戦闘機の電磁波シールドにも使われるくらいだから、用途的にはとんでもないものだが、少量特殊的には金をいくらつぎ込んでも、問題はないが、汎用化、一般化するには、相当、高いハードルを越える必要がある。5年ぐらいで実用化を目指すと言って、マーケットを刺激するが、実際には、色々な問題点がでてくる。ゲノムと同じような感覚で、コンピューターで組み合わせパターンを検証して最適化させているだろうが、それでも、誤差がでてくる。一番の問題点は、CNTを製造するときにも、ロット誤差が出てくる点である。それが同一、規格だという保証がないかぎり、現実は厳しい。では、それを均一に製造して、均一に解繊して、均一な状態ができるか、である。できれば、パッケージ化できるし、コピー化は容易になる。それが今の技術レベルでできるなら、ピンポイントで、明日、何時から何時までどのくらいの強さの雨がふってくるという情報まで、解明されることになる。そうなれば、難病の原因まで特定されて、この世から病気はなくなるはずである。

今、どこのスマホでも使用されている、セラミックコンデンサー、製造方法はそれほど、難しくはない。しかし、実際には、今でも、いいものを供給できる企業は限定される。実際には、溶剤の中にバインダーを溶かし、高粘度溶剤にする。その中に、チタン酸バリュームを均一に、分散するという単純なものである。それを積層化して焼結して製品化する。確かに、ビーカーワークではそれほど難しくはない。しかし、実際に量産時には、予期せぬ問題がでてくる。企業として、利益をだすには、自動化しなければ意味がない。たとえば、高粘度バインダー溶剤がなくなる直前に、それを感知して、バルブを切り替えなければ、自動化ラインなどできない。それが、100発100中でなければ意味がない。液の粘度、密度、分散状態、輸送角度、センサー位置、その感度、すべてがうまくいかなければ、自動化はできない。それを実際にどうしたのか、トライして、データをだして、またトライして、そして、自動化ブログラムも修正して、現実化させていくのである。やってみなければ、わからない。やらなけば、新しい情報は出てこないのである。もちろん、そんな情報など、外部などに出ていかない。そういう事例が複雑系分散でのスケールアップには、多々あるのである。だから、パッケージ化などできないし、コピーは不可能になる。それをやるには、同じ時間と同じ労力がいるのである。現実的には、後発でやるには、それ以上のコストがかかるはずである。それを、こつこつとやっていくのが、日本人なのである。もちろん、そこに、日本人特有のファジー性が絡んでくる。100の組み合わせの中で、大体、この範囲にあると、感覚的につかんで、解を当て込んでいくのである。それが、職人芸術技術文化の特徴でもある。なぜ、アニメで魅力あるキャラができるのか、無限にある線の可能性の中で、一つの曲線、直線が選ばれる。コンピューターでそれが決められるのか、決められない。職人的芸術センスをもった人しかできないのである。それと同じ理屈が複雑系分散の中では成り立っているのである。

もはや、旧来の分散技術、粉砕、破壊分散、無秩序分散の限界に達した。もともと、アメリカは、ナノカーボンではグラフェンといっていた国である。しかし、グラフェンを作るには、費用対効果がないと感じたのだろう、だから、SWCNT(シングルカーボンナノチューブ)へと移行しだした。そうなれば、新しい分散技術がどうしても必要になってくる。もう一度、日本人の生産技術手法が必要になる時がくるはずである。確かに、歴史は繰り返す。トヨタ、日産、本田が、ふたたび、技術力を増し、日本の化学品会社、鉄鋼メーカー、電工、重工関連が復活し、それと連動して、大手商社が、世界に羽ばたく時を迎えるはずである。

日本は、明治維新後、富国強兵策として、国策として軍事を強化した。日本人が愛した江戸京町文化は戦禍で崩壊した。愚かな戦争を通して日本は、平和の理念を学んだ。そして、武力をすて、技術、文化で、世界平和に貢献した。しかし、今、粉砕、破壊の技術文化が蔓延し、この地球は、異常気象でパンク寸前にある。そうなると、どこかで、技術革命が起きるはずである。日本の若者は、昭和をしらない。昭和を生きた人は、団塊の世代となり、もうすぐあの世へといく。昭和をしっている還暦近辺の年代の人が、どう若者に、この国の在りようを伝承していくか、ということになる。

時代は官僚律令技術文化から職人芸術技術文化へと移行しだす。ある意味、日本が聖地として、多くの人が日本の文化を学びにくるはずである。そして、日本で学んだ人が、それぞれの国にもどり、日本の文化と現場の文化とを融合・同化させる。武力では人は支配できない。武力では人を幸せにはできない。技術・文化を通して、人々の共鳴を惹起し、未来にむかって、平和的に共存共栄的に生きることしかできないはず。30年後、50年後、100年後の未来が今よりもより豊かで安心な世界であることを望むだけである。その潜伏的なキーワードが、やってみなければ、わからない。やらなければ、新しい情報は出てこないとなるはずである。日本が技術立国として復活する日、それをあの世から眺められたらいいと思っている。

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