革新的な美粒の高圧乳化分散、グラフェン、カーボンナノチューブ、セルロースナノファイバー、挙動は同じです。

神様の視点で、ナノカーボン乳化におけるリチウム二次電池の負極構造をみると。

神様の視点で、ナノカーボン乳化におけるリチウム二次電池の負極構造をみると。

神様の視点で、ナノカーボン乳化におけるリチウム二次電池の負極構造をみると。

まだ、見ぬ新しいプロセス技法、それがどのくらいのコストになるのか、どのくらいの収益になるのか、投資家も経営者も、誰もわからない。未経験ゾーンだからである。分かるのは、同じプロセス、過去の経験の上に成り立つプロセスから類推される数字だけである。しかし、すでに、そこは飽和し、地球温暖化のように、その矛先は内部に向かっている。従来の収益計算の論理は、すでに崩壊している。それでも、市場投資家は幻想を追い求め、役に立たないプロセスに期待して、莫大な投資をする。自分だけは損しないように、あれはいいよ、といって、再度、投資をあおる。地球温暖化のプロセスと同じ、内部崩壊へと突き進んでいる。新しいものは、いつの世でも、おなじ。どのくらいのコストがかかり、どのくらいの収益がでるのか、それは結果をみなければ誰もわからない。

むかし、チタン酸バリューム、セラコンの生産プロセスを組んだことがある。精密解砕だけでも、高圧分散をかけた。完全防爆で、180Mpaの力をかけて、30-40パスを通した。そんなことで、利益がでるのかと思ったが、結果からみて、その企業は、その商品でとんでもない利益をたたき出していた。こんな複雑な難易度の高いプロセスでも、市場を独占できる付加価値があれば、そんなプロセスも成立するのかと、感じ入った。複雑系の極みの製品である。こんな複雑怪奇なプロセスは、もう二度とやりたくはない。だから、他ではまねできない。逆に言えば、その企業は、そこから異次元の発展はできないことになる。なぜなら、そのプロセスを崩したら、再現がとれなくなるからである。

英語が母国語なら、ナノカーボン乳化のデータと、リチウム二次電池の負極改革の資料を
スチーブジョブスのように、投資家を集めて説明したら、膨大な資金を集めることができるかもしれない。投資家は、この世を変革する新しいプロセスが、出てくるのを、いつも夢見ている。アップルやアマゾンのような企業誕生を夢見ている。それが彼らの生きがいだからである。彼らの想像力は、仮想空間の中で飛び回っている。しかし、現実はそういうわけにはいかない。ITの中ではいくらでも、ビジネスを膨らませるが、ハードになると、なにもわからない。複雑系の分散プロセスなど、特に解読不能になる。だから、リチウム二次電池、EV車、CNT、グラフェン、その言葉だけで酔いしれてしまう。それが幻想ということに気が付かない。できているのなら、もうできて、世の中は変わっていて、地球温暖化は阻止されているはずである。それが加速するのは、同じことを繰り返し、ますますヒートアップしているからである。粉砕、破壊のプロセスからは、もう何も新しいものは生まれないことに気づくべきである。ハードを理解できない人は、粉砕、破壊、それっていったい、なにと思っている。世の中とはそんなものである。

ハードからソフトへ、そんなことを言っていた時代があった。それで何がおきたのか。人のものをコピーして、それを安い労働力で作り、それで利益をあげ、それを株式市場で運用し、巨大な富を得た。その資金を見せつけて、創業者が汗水たらして築き上げたハードメーカーを簡単に買収した。こんな理不尽なことは、あってはいけないはずだが、それが現実だからしょうがない。ハードプロセスの根本が同じだから、そういうことになる。電子化ファイルとNCマシニングと管理された原料、材料があれば、日本で作る必要性もない。化粧品をみたら、よくわかる。装置原理は同じ、材料もおなじ、界面活性剤でミセル乳化をつくる。百均ショップの化粧品、中味は、すばらしい。容器を入れ替えたら、だれも百均の化粧品とはわからない。百均ショップの化粧品を吟味したが、こんなものがでれば、資本力の乏しい化粧品は、廃業するしかすべがない。プロセス原理が同じだから、類似した商品が飽和するのは当たり前。新しいものがでるのかといえば、でてこない。一発屋芸人と同じで、差別化で耐えられるのは数か月。元が同じだから、すぐに捨てられる。

いまでも、ほとんどが、粉砕、破壊プロセスで事が処理されている。中国では、EV車用のリチウム二次電池、SiOxか黒鉛の複合負極に、導電助剤として、MWCNTを使っている。NMPで5%MWCNTをビーズミルでぶっ壊して使っている。ボロボロになっているが、それでも従来よりもいいらしい。日本円で、その分散液、1000円/kgである。日本では加工賃もでてこない価格である。だから、日本では、CNTなど、電池への応用などできない。偉い先生は、いろいろなことをいうが、みんな絵にかいた餅、だれも、生産性や費用対効果など考慮しない。粉砕、破壊プロセスからの顔料分散の考え方では、もはや中国にはかてない。おなじことをやっていたら、中国資本にこの国の企業はほとんど買収されてしまうだろう。

逆転の発想をこれから、述べようと思う。もし、粉砕、破壊のプロセスがすべて、美粒が述べているような美しい分散、自己組織化、秩序化の分散に変わったとしたらどうなるのだろうか?いままで、オセロゲームで、白がひとつか二つだったものが、すべて一瞬にして、白になる。これを、スチーブジョブスのようにうまい演出で、英語で説明できたら、市場関係者は、ほとんどひっくり返ることだと思う。もともと、日本には、粉砕、破壊の分散哲学などなかった。戦国時代でも、武士には一定の生死における倫理観があった。死者の魂を冒涜するような気質はなかった。冒涜すれば、自己破壊がまっていることがわかっていたからである。かつて、裸一貫で、貧しくても、己の信念をしんじて、いいものを作り上げた創業者たちがいた。今は、その創業者たちの哲学、思想、おもいは、市場原理に翻弄される暗黒物質に心を満たされた人たちで、歪められ、捨てられた。秀吉の辞世の句のように、難波のことは夢のまた夢になってしまったようである。きっと、あの世で今の在りようを嘆いているはずである。私には、そんなイメージをもつ。

新しいものは、いつの世でも、時代を変革する。そうして、いいものをまねて、さらに発展する。そうして、それが飽和して、くずれ、また新しいものが生まれてくる。時代はその繰り返しなのである。今は、どうしたら安くいいものが作れるか、過渡期の分散プロセスには、解がない。結果として、安くて、いいものだけが残ることになる。後は自然淘汰されていく。今、私が言えるのは、△プロセスの複雑性を排除して、簡単にできるようにプロセスを創造していくことしかない。分散プロセスは、1+1=2とは限らない、だから、簡単にはコピーなどできないのである。それは、ある程度、市場が飽和して、だれでもが、その因果関係がみえるようにならなければ、コピーはできないのである。しかし、どんなものでも、いいものなら、かならずコピーされる時を迎える。ある意味、作った人からみれば、あの世での話で、意味があるかどうかわからないが、名誉ある話でもある。かつて、連合艦隊司令長官、山本五十六は、アメリカと戦争して勝てるわけがない、しかし、それがきまれば、やるしかない。あばれるだけあばれるが、その優位な一瞬をのがさすことなく、和平へと尽力しろといったそうだ。

もし、粉砕、破壊の分散から、美しい分散へとうつり、多くの人がそれをコピーしようとしたら、それもいいはずである。そこには、日本の心、日本の文化が基礎にある。それがコピーされることになるからそれもよしである。世界の多くの人が、美しい分散理論を学ぼうとすれば、かならず、この国へとたどり着く。黄金の国、ジパングである。そこにあるのは、日本の風土でもある。アメリカに押し付けられようが、この国の風土に寝ずいた憲法9条の平和への理念がここにはある。神様の視点で、ナノカーボン乳化におけるリチウム二次電池の負極構造をみると、そんな風景が自然と見えてくる。

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