革新的な美粒の高圧乳化分散、グラフェン、カーボンナノチューブ、セルロースナノファイバー、挙動は同じです。

美流分散技術の哲学的考察

美流分散技術の哲学的考察

2018年11月1日に、秋山なお(中野満)の美粒ブログに、逆説的な般若心経、色即是空、空即是色の世界というものを書いた。基本概念はここにある。主眼の所を下記に抜粋する。

「色とは何か、色とは、エゴ、我執、自我である。つまり、生きている自分自身である。空とはなにか、自分ではとらえられない、超越した世界の象徴である。この世を作り上げた因果といってもいい。その因果の一部が自分であるから、その因果を生み出したものを、私は永遠に見ることも、掴むこともできない。ただ、言えるのは、感じられるだけである。」

この色の世界こそが我々が見える世界である。しかし、我々は、未完成の中にいる。不確定の色の中にある。なぜなら、矛盾と迷いの中にいるからである。物質もまたおなじ、不確定の中に存在する。ばらばらにもなれず、さりとて、組織化もできない状態、色と空との中間にあるもの、空と色との混合状態、それが、今のありようである。だから、この中間にあるものは、ばらばらな破壊の方向へすすむか、秩序をもった組織化の方向へ進むか、その二つしかない。人もまた、おなじ、崩壊の方向へとすすむか、命を守り、自分という自我の正義を確立するように、組織化の方法へと進むかである。

ブログでは、下記のように、空と色との関連性を示した。

「例えば、中学生でもならう数式がある。これが、ある意味、世の中の仕組みを表している。たとえば、X +Y=10という式である。XとYの解を求めろといわれたら、どうなるかである。答えは無限である。何も、ここには整数とは条件づけされていない、つまり、無理数、有理数、すべてを含めたら、X+Y=10 を満たす XとYの解は無限という答えになる。つまり、わからない、解が特定されないことになる。しかし、そのイメージは、わかる。なぜなら、X と Y を足したら10になるということは、理解できるからである。つまり、これが、我々が感じることができる世界だということである。これが、ある意味、空の本質である。これは色々なもの、色々な条件が無限に重なった状態で存在していることになる。つまり、空とは、なにもないのでなく、一つに収縮できない無限の何か(波動でもいいし、ゆらぎでもいい)が重なった状態、どんな確率もなりたつ無限の重なりの状態だということである。無限だから、逆に、なにもないともいえる。ゼロだということもできる。ゼロに何をかけてもゼロになるという感覚である。

では、色とはなにか、空に制限をつけて、解を特定させ、答えをだせばいいという事である。簡単にいえば、X とYは整数だという条件をつければいい、それによって、無限が有限になる。その組み合わせになるのは、0と10、1と9、2と8、3と7、4と6、5と5の6通りの組み合わせしかない。それでも解はきまらない、しかし、Xの解は0.1以上で1.9以下であるという条件をつければ、答えは一つしかない。整数でしかも0.1以上で1.9以下であれば、Xは1しかない。Xが1なら、当然にYは9しかない。無限にあったものが、一つに収縮した。無限の中で一つのもの(解)がでてきた。それが、ある意味、自分である。自我である。これが色の本質である。空の中から色がでてきた。ある意味、この世の微分方程式の一つの解が自分ということになる。どのような条件をあたえたか、それが、人によって異なる。だから、それぞれに個性がでてくる。ひとりひとりの唯一無二の自我が出てくる。その方程式は時間によって変化するものであれば、つまり、時間という変数が含まれていれば、それによって、でてくる解は、同じものはない。なぜなら、時間は過去から未来までながれていて、同じ時間というのがひとつしか存在しないからである。そして父と母は、異質の自我をもっているから、自分はこの世の一つの選択肢から生まれた一つのものということになる。」

ここでいう現実的な世界とは、完全に一つに収縮しているものではない。なぜなら、この世は不条理であり、理不尽なことばかりだからである。あるばらつきの中にある世界でもある。なぜなら、サイコロ賭博が成り立つ世の中だからである。物質も、きれいなものもあれば、汚いものもある。規則性のものもあれば、不規則性のものもある。人の心も、企業の在りようも国家、民族の在りようも、またしかりである。いい人もいれば、ろくでもない人もいる。まともな企業もあれば、ブラック企業で、人を人とも思わない畜生の企業もある。それが、空と色の混在する世界である。ある意味、これがこの世の現実の世界である。苦しみと喜び、哀しみと微笑み、絶望と希望、闇と光、二つの対比が混在する世界である。それでも人は生きなければならない。だから、空の中に永遠の幸せを求める人と、色の中に永遠の幸せを求める人とが生まれる。これが、空の中の色、色の中の空という事になる。この世の微分方程式を解くことに関して言えば、同じことである。ただ、どちらを主眼におくかで、表面の色合いが変わるだけである。

世の中は、その世界にあるものをどうするのかで色合いがかわる。そのプロセスこそが、この世の流れということになる。文化も歴史も、ここから、破壊の方向へいくか、組織化の方向へいくかということになる。破壊と創造、それが歴史であり、その中で、人類は翻弄され続けてきた。破壊は死であり、創造は生でもあり、命でもある。歴史をみれば、ほとんどが破壊であり、闇である。その中で、努力して、人類は光を作り出してきた。闇の中で開く花火のようである。そこにあるのは、蛍のような一瞬の美しさでもある。この宇宙は限りなく膨張しつづける。最終的には破壊の方向である。だから、その中で、空しい徒労かもしれないが、一生懸命に抵抗して美しい花を咲かせようとする。ある意味、それが命の本質である。この矛盾に満ちた世の中において永遠の美しさはない、朝焼けの一瞬の美しさ、夕暮れの哀しすぎるぐらいの美しさ、滅びゆく命あるものの最後の矜持の光、それが、この世の美しさの本質でもある。その根底に流れるものこそが、美流である。ものを作り出す方向、美しい秩序を生み出す方向へ流れるものである。我々からの観念で一番近いものといえば、それが芸術である。人が心地よいと思うリズム、美しいと思う風景、人の心を感動させるもの、それを作り上げる方向、それが美流でもある。

それと反対にあるのが、乱流である。この宇宙の流れはこの方向へと進んでいるように見える。だから、命あるものは滅び、物は崩壊し、ばらばらになろうとする。だから、この方向は安易なやり方である。積み木崩しをすればいいのだから、何も難しいことはない。高速の物体にのって、物を投げる場合を考えたらいい、進行方向に向かって物を投げればより速くとぶ、それだけ、エネルギーが強いことになる。逆に投げれば、遅くなる。乱流と美流の違いでもある。

乱れの要因(乱れはどこから生まれるのか)

美流の方向は、芸術を作るやり方と同じである。では、乱流と美流の違いはどこにあるのか、破壊を生むものと、ものを作り上げるものとの差異はどこにあるのかである。人はエネルギーベースが高いものものほど、乱れやすいと思う。乱れという状態であれば、確かに、エネルギーベースが高いほど、乱れの強度は強くなる。しかし、乱れを生む要因は、エネルギーベースだけではない。エネルギーベースが同じでも、乱れるものと乱れないものとがある。乱れを生む、乱れを生まないのは、別の因子が絡んでいる。


色と空


音楽との関係

一番、乱れ(汚い)と美との関係が端的に示されているのが、音楽の協和理論である。音楽の基礎はこの理論に基づいて構成されていると私は思っている。いろんな所から流れる楽曲、これらの楽曲のコード進行も、協和理論から導き出されている。ある程度、協和理論を知っていて、それに基づいて音楽をつくれば、だれでもそれなりの曲が作れる。知らなければ、曲自身が乱れて、聞くに堪えないものになる。まず、不快に思うはずである。

音楽の基礎は、波動である。空気の振動である。強度ではなく、周波数が基礎となる。440Hzがラである。一オクターブは、その倍の周波数である。一オクターブ低いラは、220Hzであり、一オクターブ高いラは、880Hzの周波数である。440HZと220Hzのラを同時に慣らしたらどうなるか、ラの音がきれいに重なっているなと思うはずである。なぜなら、協和しているからである。乱れているところがないからである。一オクターブには、12の半音が均一に並んでいる。1オクタープは倍音(2倍)であるから、半音は、2の(1/12)乗数ということになる。つまり、1.0594倍である。440HZのラの半音高い、ラ#は、466.136Hzということになる。


コード進行


上記の不協和度曲線を見てもらうのがいい。音階(ドレミ)の原点に対して、どれだけの不協和があるかを示している。上に行く方が、不協和度が高いということである。一番、原点の音、例えば、ドの音に対して、一番不協和が強いのはド#である。ドとド#を同時にならしたらいい。大抵は不快に感じる。その波形を重ねると、一番乱れている。ドと1オクターブ高いドを同時にならすと、気持ちいいはずである。同じ音だから、違和感はない。次にいいのは、7半音高い音、ソである。次にいいのは、5半音目である。つまり、ソは下のドとは7半音関係、上のドに対しては5半音関係にあるということである。ハ長調のコードCは、ド、ミ、ソである。それぞれが、綺麗な協和関係で成り立っているのがわかる。これが乱れのない関係である。ある意味、美流と呼んでもいい。

分散技術の中の美流とは。

音楽の曲づくりでいえば、ベースが協和理論であり、次にコード進行理論が存在する。それほど難しい論理ではない。今なら音楽作成ソフトがあるから、だれでも曲が作れる時代である。コード進行どおり、3和音をいれていく。それに合うように、メロディラインをいれていけばいいのである。和音とメロディを同時にならして、そのメロディの音がおかしければ(あっていなければ)、その音に違和感を覚える。その時、その音を上下させる。違和感のない音であれば、OKである。これも、メロディラインに応じて、その場でどのようなコードを選ぶかということになる。コードが決まっていれば、メロディをどう修正していくかという発想になる。

分散技術での美流の考え方も基本は同じである。標準の美粒モジュールの内部は、それぞれ、乱れがないようなデザインで構成されている。詳細は、開示できないが、音楽でいうドミソの三和音やそれに長7度をつけた四和音のようなイメージで構成されている。ギターでもピアノでも、ドミソを同時にならしても、違和感はない。美しい響きとしてとらえられる。しかし、ド、ド#、シの音を同時にならしたらいい、だれも、美しいとは思わない。汚いと感じるだけである。高圧分散の流体の中で、何が美しいか、視覚的にみれば、100Mpaの圧力で水を流した時、出口配管から、泡がでないこと。この状態を、美流と定義している。

標準の美粒モジュールは、極微、微、小、中、中中大、中大、中大大、の7種類があり、ダイヤモンドノズルも、0.01刻みで作れるが、大体、0.09mm、0.13mm、0.15mm、0.17mm、0.2mmの5種類あれば、十分であり、最新の特別品の美粒チャンバーや、スーパー美粒モジュール01を使えば、殆どのアプリケーションに対応可能である。これだけ、そろえても、弊社が昔販売していたNANO3000よりもはるかに安いし、廉価でうっている他社の油圧式の高圧分散機よりも安い。世界一、費用対効果のある分散ツール機だと自負している。

この各種の美粒モジュールの考え方も、音楽の音階の考え方に近いものがある。音階(スケール)というとピント来ないかもしれないが、一般的にいえば、キーである。カラオケで、キーが高すぎて歌えない場合があるし、自分の声に対して、低い場合もある。その時、キーをあげる。まだ、たりなければ、もうすこしあげることになる。それは、自分の声の質に応じて、音階を上げることになる。それと同じことが、美粒モジュールにも起こる。それが、処理物の特性、ポンプの特性、ユーザーの目的によって可変される。最適化のツールになる。
もちろん、標準のノズルと美粒モジュールで最適化されるならそれでいい。それでは不十分で、さらに、最適化をすすめるのであれば、スペシャル美粒モジュールが必要になる。それは、オリジナルなメロディラインをつくり、それにあったコード進行を作ることに似ている。この工程は、オリジナルな楽曲を作る作業に類似している。


美粒モジュール


もちろん、基本はカスタマー・ファーストである。美流条件が必ずしも、ベストとはかぎらない。多少泡がでている状態の方がいいとなる場合もあるだろう。

美流の視点、芸術的な感性で物事を見る目。

商品(処理物)は、千差万別である。医薬品、化粧品、食品、化学品等、目的に応じて、処理物の性質が変わる。分散の目的も方法論も変わる。特に、いままで、手当てがされていなかった、濡れ分散、剥離分散、解繊分散、乳化分散である。泡のでないという美流条件はいいとしても、それぞれにどのパラメーターが効くのかは、定かではない。長さが効くのか、径が効くのか、時間が効くのか、流速が効くのか、どの場所での速度勾配が効くのか、それと冷却時温度勾配とがどのような因果関係を結ぶのか、物によって変化する。それを見極めるのはなかなか難しい。

再度、力説するが、この美粒モジュールが、従来の分散機とどこが違うのか。端的にいえば、せん断をかけながら、温度制御ができる点である。バッチでも温度制御は確かにできる。それは、タンクの外側をジャケット構造にして、そこに、冷媒や熱媒を通せば、温度制御ができる。しかし、それは、マクロ的であり、外側と中心部では、温度にむらが生じる。風呂とおなじように、羽根でかき回しても、空気を巻き込みやはり温度むらは解消しない。大雑把な温度制御となる。大雑把な温度制御と精密な温度制御の差がでる。

後、10年、20年、30年後の世界は、美粒モジュールが一般的な分散ツールになっていると想像する。なぜなら、これほど、簡単で、廉価で、応用が利くものが他にないからである。スケールアップも、何が効くのかで、そのプロセスも細分化される。将来は、コンピューターがさらに発達するだろうが、この分散に関しては、たぶん、複雑すぎて、そこまでは対処しきれないはずである。もちろん、500年、1000年後の未来はどうなっているのかわからない。

しばらくは、コンピューターが高度化しても、コンピューター自身が、考えて、楽曲をつくったり、小説をかいたり、絵画を描くまでは、いかないだろう。もし、そういう時代になれば、ロボットに人間がこき使われる時代になっているはずである。コンピューターが、処理物の特性を見極めて、最適な分散条件を、きめて、勝手に処理しているはずである。そういう時代がくれば別だが、そうでないなら、分散条件、美粒のモジュールを決めるのは、人間だということになる。詩をかく。メロディをつくる。絵画をかく。それらの芸術的センスで条件を決めるだろうと思っている。これらの芸術作品を創造するとき、人間の脳は、特殊な演算処理をしているはずである。無限の中から、ひとつをえらび、その次にまた無限の中からその次を選ぶのであるから、とんでもない事をしているはずである。たぶん、これと同じことを分散条件の最適化の行為の中でも行っているはずである。何が効くのか、目的に対して、最短の処理とは何なのかである。たぶん、それを選べるのは、知性からではなく、感性からでしかないだろう。知識や情報、それをベースにして、何を次に選ぶのかは、ひらめきに頼ることになるはずである。どこからか、そうしたほうがいい、それがベストだと、自分をこえた何かの力によって、ひらめきが生まれるはずである。混とんとした空と色の混在状態、空と色との中間領域から、最良の結果を導き出す。美粒システムをつかっても、そこにあるのは、芸術行為と同じ感覚である。最善の結果を導き出せるのは、芸術的な感性のはずである。ひらめきは、知性ではなく、感性の中から湧き上がるものだからである。

技術者や開発者、研究者が、これから一番やらなければならないことは、この芸術的な感性を磨くことなのである。美しいものをみること、美しいものをきくこと、そして、美しいものを書き写すこと、そして、美しいメロディをつくり、美しい風景を描き、その美しさを言葉に書き留めることなのである。それが、芸術的な感性を生み出す要素になるはずである。

近い将来、私がこの世を去る前までには、美粒モジュールの詳細は開示するつもりである。そうすれば、私が何を作ってきたのか、それを理解するはずである。そうなれば、だれでもが、美粒システムを自分のオリジナルとして作り出すことができる。紙と鉛筆があれば、だれでも、詩をかけるのと同じである。キャンパスと絵具があれば、だれでも、絵をかけるのと同じである。楽器や今ならパソコンと音楽作成ソフトがあれば、だれでも、楽曲がつくれるのと同じである。

(2018年11月12日、by 中野満 )

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